●合併50周年にあたって |
土佐町合併50周年の記念すべき年にあたり、ご臨席くださいました皆様に、盛大に記念式典が挙行できましたことに対し、謹んで感謝を申し上げます。
さて、本町は昭和30年3月31日、地蔵寺村、森村、田井村の三村が合併し半世紀、50年の時を刻んでまいりました。改めて振り返ってみますと、合併当時の村づくり「新村建設計画」の基本方針に、「三ヶ村は純然たる農林産経済を主体とする自治体であるが、田井村の中心地区は近年商業交通文化の面において飛躍的発展を続けており、嶺西地区の中心としての様相を備えつつある。掻くの如き地区の立地条件を基盤として、本山町、吉野村を合わせた嶺西地区五ヶ町村の大理想の下に農林商工一体のモデル自治体を建設する」と、記録されております。 三村合併当時は、人口9,684名でスタートし、名実ともに政治、経済、文化の発展を農林商工一体として発展させるという諸先輩の並々ならぬ熱気がうかがえるのであります。 いつの時代でも試練はありますが、この半世紀の動きの中には、所得倍増計画に端を発した高度経済成長時代への突入がその後の社会に大きな変革をもたらし、都市との所得格差の問題、新規学卒者若年層の人口流出の顕在化等中山間地域の過疎化現象は一層深刻化を増してまいりました。 時代の変革に対し、昭和36年の農業基本法の制定をきっかけとして、農業生産の選択的拡大施策が打ち出され、当時の村政も、基盤整備事業を中心とした農・林業構造改善事業、山村振興事業、過疎対策事業等をいち早く導入し積極的な事業展開を実施してまいりました。 又、昭和42年には、吉野川総合開発の一環として早明浦ダム建設が着工され、48年に完成をしましたが、嶺北地方にとっては大変大きな出来事でありました。引き続き実施されました「高知分水事業」につきましても、水源の重要性を改めて実感するものであります。 こうした大きな開発事業を期に町内でも交通基盤である道路等の整備が一段と進められたものでありました。西日本一の多目的ダムと言われる早明浦ダムも、建設には約400戸の家屋と、土地800ヘクタールが水没するなど嶺北地域にとっては、大変大きな犠牲の上に完成していること、更にダム建設と併せて実施された瀬戸川、地蔵寺川の高知分水事業は、今日に至って下流域の水量不足となり、本町の上下水道に大きな影響を及ぼして来たことを改めて認識しなければなりません。 近年における状況を顧みると、特に、平成11年の「米」の関税化移行が象徴するように、国際化への加速的な動きや、少子高齢化社会への進行、安全安心に対する関心や、環境に配慮した持続型社会の構築に向けた取組み等、行政に対する課題も大きな変革をみせております。 又、急速に進む少子化等に対し、より良い教育環境を提供し、教育効果を高めるための教育改革や高齢化社会への対応など、健全な社会・教育環境を創造する取組みは町政の重要な課題となっております。 一方、平成の市町村合併は地方分権の名の下に進められ、改革の柱としての三位一体改革が地方行政に対し大変厳しい影響をもたらしていることも事実であります。 しかし、半世紀の歴史の中で、本町が、今日のように日々、進展を続けることのできますのは、ひとえに国及び県当局を初め、関係各方面の力強いご支援とご協力によるものであり、そして郷土発展のためにご精励下さいました町議会議員諸兄並びに町民各位のたゆまぬ努力のたまものであります。 この機会に皆様のご労苦に対し、心から感謝の意を表するものであります。 合併50周年記念式典を契機として、町民憲章に掲げた5つの理念を町民の皆さんと一体となって更に連携を密にし、これからも健康で元気な長寿社会の構築等の行政課題に対し、的確に対応すべく町民の皆様と共に「この町に住んでいて良かった」と言われるような地域づくりを進めてまいりたいと考えているところであります。 この他、本年は、この合併50周年と時を同じくして、十和田湖町との姉妹町締結20周年ともなる訳でして、この4月27日には合併に伴う新十和田市誕生記念式典に合せて姉妹都市として再締結を行ない、今後も引き続き有効的な交流を進めていく所存でございます。 なにとぞ今後とも本町発展のために、引き続き皆様のご助力とご鞭撻をお願い申し上げる次第でございます。 意義深い記念式典において、多年にわたり、たゆまざる奉仕の精神をもって本町発展のためにご尽力されました方々を表彰し、被表彰者各位の喜びと栄誉をわかちたいと思います。 ここに、土佐町合併50周年記念式典に当り、重ねてご皆様に厚くお礼申し上げますとともに、ますますのご健勝とご繁栄をお祈り申し上げます。 平成17年4月15日
土佐町長 西村卓士
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